詩誌「詩人散歩」(平成30年夏号)

yuyake

◆これまでの【詩編】を掲載しています。

  ひとときのやすらぎ        浪 宏友

ここにいればいい
なんの心配もいらない

きみがどこから逃げてきたのか知らないけれど
そんなこと知ろうとも思わないけれど

ただ きみが
おびえて ふるえている きみが
あんまり切ないので
抱きとめてあげないではいられない

すがりつくまなざしで ぼくを見あげて
冷え切った肩を ぼくにあずけて
こわばった頬で
土色のくちびるで
きみは しきりにつぶやいている
かすれた声に ぼくはうなずいているけれど
ほんとうは なにも分からない

いつのまにか ぼくの胸で
きみは 寝息をたてていた

ここにいればいい
なんの心配もいらない

目ざめたら きみは ぼくから離れて
行ってしまうのかもしれないけれど

ほんのひとときのやすらぎのために
ぼくに 立ち寄っただけかもしれないけれど

  春がいっぱい          中原道代

八百屋さんの店先は 今
里山の春の息吹にあふれている
うどに菜花
たらの芽 ぜんまい
小さなのびるもみずみずしい

帰り道にも春がある
タンポポたちにあいたくて
ちょっと より道 まわり道
橋の下
黄色広がる花畑
タンポポにそっとふれたら
やわらかくて やさしくて
蝶蝶さんもお気に入り
まんまる綿毛が
そこにも あそこにも
背すじのばして
旅立ちの風をまっている

  徒歩            伊藤一路

最近は徒歩が楽しい
いつもなら車で行く場所も徒歩で行く
徒歩での移動は情報量が桁外れに多い
咲いている花 実をつける植物
新しい建物 古くからある家
すれ違う人 公園で遊んでいる子供達
細い抜け道 流れる川の水
気温や湿度 舗装や砂利道
車では感じない事ばかり
あっという間に時間がなくなってしまうけれど
それだけの価値はある
目的と同時に過程も楽しい
効率と結果最優先の発想を
少し考え直してみるのも面白い

  吹き抜ける風          大場 惑

熱い痛みを背中に感じながら
両手両脚で這いつくばり
顔を起こしてまわりを見れば
死の灰をかぶった数知れぬ背中が
ずっと向こうまでひしめいている

死の灰は
人を選ばず降り注いでくる
死の灰は
場所を選ばず埋め尽くしてくる

だれひとり
降り注ぐ死の灰を止めることはできない
だれひとり
降り注ぐ死の灰を避けることはできない

六千五百五十万年前の悲劇は
遠い彼方からやってきた

いまの地上のこの不幸は
地上に這いつくばってうごめいている
我々の中から産みだされたのだ

だれひとり
死の灰から逃れるすべはないのだ
この地上にいるかぎり
降り注ぐ死の灰に埋もれるほかないのだ

地上は やがて 静まりかえり
降り積もった死の灰が
吹き抜ける風に弄ばれる