詩誌「詩人散歩」(令和元年秋号)

yuyake

◆これまでの【詩編】を掲載しています。

  声                浪 宏友

裏通りの小さな雑貨店
閉店間近
ぼくが帳簿をつけていると
店のほうが賑やかになった

こんな時刻に
お客さんでも見えたのだろうか
それとも
店員の友だちでも押しかけてきたのかな

中に 爽やかに弾む声がある

まさか

あの人であるわけがない
ずっと遠くへ行ってしまって
行方も分からなくなっている
あの人であるはずがない

小鳥たちが思い思いに囀っているような
その中に混じっている
爽やかに弾む あの声

どっと 笑い声が爆発する

ぼくは 手が止まって
空っぽになる

遠くで店員の声がこだまする
シャッター 降ろしました
お先に失礼します

それっきり
夜が更けていく

  診療所で             中原道代

ここは町外れの診療所
込み合った待合室
私も長いすで順番を待っている
急に あーあー あーあー と可愛い声
思わず手元の本から目を上げた
若いママに抱かれた幼い子
小さな体いっぱいに出す声が
待合室に響きわたった
母親は立ち上がり
胸の子を大きく揺った
一生懸命お話してるんだね
私のつぶやきに彼女が少し笑った
老人が手を引かれてゆっくり通りすぎた
かつて私が通った道
やがて私も通る道
目を閉じて自分を見つめている
ゆったりとおだやかな時が流れる

外に出ると
あの親子が帰って行く
梅雨の晴れ間のお日様が
ふたりをやさしく包んでいた

  平等で対等           伊藤一路

友人はいつまでも友人だ
なぜずっと友人でいられるのか
それは平等であり対等だからだと思う
ある瞬間助けたり助けられたり
与えたり与えられたりする事もあるけれど
根底でお互い平等で対等だからいつまでも友人で
いられるのだと思う
しかし本当は友人だけの話ではないはず
先輩と後輩、教師と生徒、親と子、旦那さんと奥さん
全員対等で平等じゃなければいけないと思う
どちらかの意識が対等や平等でなくなった時その関係は歪む
僕は初めて親になった時自分に誓った
子供に対しても平等で対等であろうと
親になっても偉くなっちゃいけないと
実際の所偉くもないし

  風に舞う手紙         大場 惑

窓を開けると 遠くに広い海が見える
近くには積み木を並べたような町
色とりどりの屋根がひしめいている
窓際で 便箋に手紙を書く
何枚も 何枚も 手紙を書く
書き終えた便箋が 積み重なる

呼ばれたような気がして振り返る
誰も居ない

視線を戻すと 書き終えた便箋が舞っている
窓の外に ふうわり 吸いだされる
風のいたずらだ

手紙は 何処へ行くのだろう
風は 何処へ運ぶのだろう
手紙たちは舞い上がり もう手が届かない

町へ行くのか 海に浮かぶのか
見知らぬ 誰かに届くのか

誰かが 読んでくれるのか
読んだら 返事をくれるのか
それともただの紙くずになって
あとかたもなくなってしまうのか

何も分からないままに
今は ただ 手紙を見送っている