詩誌「詩人散歩」(平成15年冬号)
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  着崩す若者たち                         大場 惑

 街を歩くと、着崩した若者たちをよく目にする。それが流行のように思っているらしいが、私の観察では、着崩すこと自体は流行ではない。

 若者の着崩しは、時代を超えて見られる現象のようである。

 どうやらいつの時代にも、着崩したい若者たちがいるのである。それが彼らにどんな意義をもたらしているのか、ちょっと興味ぶかいものがある。

  体調を崩して                       山口ハル子


 夏の暑い日体調を崩して行きつけの病院に行く。点滴をしましょうとの事で、ベッドへ一時間半おとなしく落ちるのを見ていた。いろいろなことが思い出されてぽろり涙も落ちた。

 長男が三歳の頃私たちはけんかをした。腹が立って朝にぎりごはんをつくり、下の子を背に上の子もつれて夫にはだ まって家を出た。バスに乗り蚊口の浜でごはんを食べ、よせては返す波を見たり貝を取ったりして過ごした。もうバスもなくなり暗くなった。帰ろううん帰ろうかねとぼつぼつ歩き舞鶴公園の下の家までかなりある。長男が足が痛いだっこしてと言う。私は背中に下の子、前に兄を抱っこしてとにかく帰りついた。兄の方は父さんに海を見て遊んできたよと言っていた。實家へ行っていたかと思ったと父さん。主人はやっぱり気にしていたようだ。私達はもうけんかした事は忘れたようだ。子煩悩な夫は抱き上げたり下ろしたりしていた。

 いろいろな事思っていたら涙がとまらず点滴と共に泣い た。主人も長男も世に亡き人となり遠い空の彼方に旅立って行った。いろんな話をしながら長い旅をしてね。父さん賢さん何時までも心に残っています。

  大島大噴火                       倉本トモ子


 昭和六十一年十一月、大島三原山は大噴火しました。その一、二年前だったかと思いますが、蛙が異常発生したり、毛虫が大量発生し、それは一定の木にしか住みつかないのですが、その毛虫は何十米も先の家々に、毛虫が出す糸でブランコ状態でぐんぐん延びてゆき、べったり家にへばりついてしまうのです。

 又、噴火の一カ月位前、昔は十月十日は体育の日で休校の学校もありましたので、私の知人の小学校は大人達五、六人で三原山登山をしました。頂上辺りで何気なくちり紙を地面に捨てたところ、マッチもつけないのにちり紙が燃えたと、不思議そうに私に訴えました。聞いた私もその不思議の真意は分かりませんでした。

 翌月十一月十五日から微動地震が始まり、段々ひどくなりました。地震というより地下のマグマがすぐ下で荒れ狂っている感じで、大変緊張しました。そういう時はとても家の中に居られるものではありません。外へ出ようとするのですが、よろけて仲々歩けません。はずれたガラス障子は廊下の方に倒れ、隣の部屋に寄りかかっています。そのわずかな三角地帯のすき間を這いずって玄関に出ましたが、どうしても立って靴がはけません。仕方なく手に持って出て、外へ行って履きました。  地下の荒れようは秒ごとに激しくなり、地下のマグマは大音響をつれて山頂で爆発し、空では報道陣のヘリコプターが、めったにないこの現実を報道しようとして必死になって大きな音をたてています。二十台位来ていた様な気がしていました。

 十一月十九日は、不思議にこの大噴火はピタリと止み、島に平和が訪れました。やっと島民達は安心して山頂の溶岩流を見物に行った程です。私も行きました。あのすさまじい噴火で流れ出た溶岩は三原山頂から内輪山に向けて猛烈な勢いで流れ出ているのですが火をふくんでいますから、暗い夜空にチカッチカッと赤い火が見えて感動的な光景でした。自然の力の偉大さに今さら乍驚きの目をみはるばかりでした。

 もうこれで噴火は終ったと一同喜んだのもたった一日で、二十日からは又猛烈な噴火が始まりました。二十一日の夕方四時頃、二千米位の火柱と共に、今までとは違う個所から大噴火が起った瞬間、主人と私は港近くに居ましたので見ました。最初は黒煙が上り、それから猛勢で火柱に変わってゆきました。それは港近くに居た写真愛好家が写し、絵葉書になっています。その後は砂漠方面から噴火したり、夕方暗くなる時分に元町のすぐ上から何個所も噴火する様になりました。これが割れ目噴火と言い、元町のすぐ上なので、これ以上は危険と町長さんは判断し、全島避難ということになりました。時の内閣総理大臣は中曽根康弘氏、東京都知事は鈴木俊一氏でした。私達は都民ですので、大変暖かく手厚く保護され、感謝で一杯です。一カ月後、家も溶岩流の下敷きにならず帰島できて幸いでした。

 これがあの十七年前の地ごくの噴火のあらましの思い出ですが、大事なことは、一カ月前、三原山で捨てたちり紙が自然に燃えたことに地熱がいかに高かったかに気がつかなかった人間、又蛙や毛虫の異常発生に気がつかなっかた人間。こうして教えてくれているのに気がつかなかった人間達。私達は直下型地震の真上に住んでいた為、この様な経験をしてきましたので、今日本中で大きな地震で恐れをなし、東京も直下型地震が無いとは断定できないと言われていますので、この様な事に気がついたときは、皆で気をつけてくださいと祈らずには居られません。(平成十五年十月記)