詩誌「詩人散歩」(平成16年夏号)
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  意味不明の言葉                         大場 惑

 特定の言葉が世間を飛び交うことがある。同じ言葉を使っているのに、言っていることがまるで逆に聞こえることがある。本当は何を言いたいのかよく分からない。何故だろうとよくよく考えてみたら、その言葉の定義が私には不明なのであった。皆さんは熱心に議論しておられるようだからお互いに意味が分かっているのだろう。してみると、言葉の意味が理解できない私は、時代遅れということになるのかもしれない。

  歳月                              山口ハル子


 「我が命断ちたきほどの悲しみに耐えきし亡き子の一周忌迎う」

 県の年間歌集の中に見た歌である。私も二十三歳の長男を亡くして涙にくれての日があった。この歌に、自分だけではない悲しい人はいっぱい居る、一人だけのような顔しないで元気を出せと言いきかせて歳月が薬で立直って三十四年になる。父さん母さん助けてと言いながら目をとじた。今も昨日のように思い出される。
 短歌が縁で文通が始まったが亡くなられた。私も悲しみの心を何かにぶっつけたく短歌に心をよせて三十四年になる。
 父さんと悲しみの日を語り合い慰めあって過ごしたが、一人残され何時も後に父さんを感ずる。目がさめて朝が寒い時、今日は暑くなりそうね、と一日が始まっていた。
 桜も満開、道路向かいの老木も又今年もいっぱい花をつけて楽しませてくれる。朝、窓を明けると目の前にパッと目につく。道行く人を楽しませてね桜さん。