詩誌「詩人散歩」(平成16年冬号)
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  現代                             大場 惑

 殺伐とした世相をみるにつけ、心の通じ合えることが、なんともかけがえのない大切なものと思えてくる。

  八十路                             山口ハル子

 いつしか八十路を越えてしまった。

 ひざかん節の治療をしながら杖をつきながらの日々であるがほかは悪い所もなくぼちぼちとお味噌汁をつくりおにつけもたいて、一人の暮しがゆっくりと流れて行く。目は三ヶ月に一回白内障の検査に行く。今のところ進まないと先生のお言葉である。子等夫婦は時々のぞいて、掃除機をかけてくれたり草を引いてくれたり感謝している。

 今年の暑さは毎日三十五度もあり扇風機の下で人形と遊んでいる。「秋だね」と人形は言っている。秋だね感情がこもっていて寂しさを感ずる。

 朝夕は袖無しを着ないと寒くなってきた。これから冬を迎へてこたつの中かなと冬支度もそろそろ用意しなければと思いながら、ペンを走らせている。

  東京都伊豆大島にも熊が居た                  倉本トモ子

 終戦直後大島の山中にも、山羊、鹿は数頭居ました。元々居た訳ではなく、東京都立大島自然動物公園から戦時中逃げ出したものです。時を経て、昭和四十年代、熊に農作物を荒されるという事があり、丁度落花生収穫時期でして、農家の人が朝畑に行くと、全部悔い荒した後で、あっちこちの農家では大変な痛手を負わされました。又、人や家畜に被害が及ばないとは考えられず、人達は戦々恐々とした日々を送ることになった時、大島警察署から、ハンター達は呼ばれました。此の熊を退治する様にと。熊の出没は夜中なのです。ハンター達は二人一組、それに警察官が一人付き添い、毎夜熊の出そうな畑の近くにひっそりと潜り、張り込みをするのです。真暗い所に真黒い熊を見つけるのは容易な事ではなく、土を爪で掘る幽かな音と、時々光る眼で来たことを察知するのだと私は想像しました。吾が家のハンターも幾晩か三人で張り込みをしていたのです。或る晩、熊が来たことを察知し、人に遅れをとることの大嫌いな吾が家のハンターは、いち早く熊に向って銃弾一発、確かに手応えはあり、農作物荒しの犯人はその一発で一生を終えました。朝になったら、その事で大島中は大騒ぎになりましたが、熊としては中位の大?さで、これも公園から逃げた、たった一頭の熊と分り、この先大島には熊が出ないことを知り、皆安心しました。此のニュースがフジテレビに知れ、このことに携った元町のハンター四人は、小川宏ショーに招かれ、私はいつも見なれている四人の顔をブラウン管を通して見る事が出来ました。小川宏さんにその時の様子をいろいろ訊かれ三人の人達は、にこやかに答えているのに吾が家のハンター丈は一言も云わず、帰宅してから、あんな事で大騒ぎするのはいけない、と不満なのです。私の察する所、多勢の人達からちやほやされた「てれ」だったのです。