詩誌「詩人散歩」(平成19年冬号)
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  十四歳少女が見た二・二六事件              倉本トモ子


 今日は二月二十六日、七十一年前の二・二六事件を思い出して書いてみたいと思います。
 昭和十一年二月二十六日の朝は大雪の降り積もっている日でしたが、いつも通り学校へ行き、二時間か三時間目に担任の先生が教室へきて、皆さん今日の授業はこれ迄です急いで家に帰りなさいとのこと。もしかしたら途中殺されるかもしれませんよ。皆びっくりして、エーッ何で? でも先生にも事情が分らなかったのでしょう、説明はありませんでした。
 近間の人もありますが、遠くから電車に乗って来る人もありで、皆大急ぎで帰って行きました。
 京橋方面から通学してくる人で井上靖子さんという友人が居り、途中殺されるかもしれないと先生が言った時チラッと井上さんの方を見て仰言いましたので、井上さんのことが心配になったのです。当の井上さんはふるえ上がったでしょうね。
 省線、市電、バス皆止まってしまいましたから皆歩いて帰ったのです。井上さんも大雪の中京橋の自宅まで歩いて帰ったと思っていましたが、良く帰へる道を知っていたと感心していました。昭和十四年卒業以来井上さんには遭った事がありませんが、未だにその時の心配が心のどこかに引っかかっているのです。
 学校は省線目黒駅近くで東京の中央からは随分離れていますから、周辺や、渋谷、新宿、杉並方面も平穏無事でした。それは後から分った事で、私達が帰途につく時は何も知らされていませんが、何か大変な事が起ったということだけ分かっていますから、いつ反乱軍に殺されるかもしれないという緊迫感で大急ぎで歩きました。
 無事帰宅してすぐラジオの前に座り放送を聞きましたが、今何が起っているのかをラジオでは確か説明されなかった様に思います。その後、NHKから放送されたのは、香椎陸軍中将の「兵に告ぐ」の放送でした。内容は、兵隊達は何も分らず上官の命令通り動いているけれども、それは反乱軍ということですから、すみやかに隊に帰へり平常通りの勤務につく様にと言うことでした。NHKの放送は兵に告ぐだけ、それを何回も何回もくり返し放送し、四日目にやっと各連隊に兵隊達は帰り、内乱は静まった様に思います。
 人の噂に依ると麻布三連隊の青年将校達が事を起こしたというのです。三連隊の一番上に起つ人は、天皇陛下のすぐ下の弟宮秩父宮様ですから、変だナと私は釈然としませんでした。
 赤坂周辺は剣付鉄砲を持った兵隊が多勢立っていて、用事がある人でも通行止めになっているとか情報が流れて来ました。
 その日に殺された高橋是清の家は赤坂から渋谷方面に少し行った左側一寸入った所にありました。内閣総理大臣の弟さん、斉藤実氏、もう一人は私が名前を知らない人が殺されました。総理大臣の弟さんは総理大臣と間違えられて殺され、本当の岡田啓介総理大臣は押入にかくれていて命は助かったそうですが、それ以後の人生は私達女学生から見てもみじめなものに見えました。
 斉藤実氏とは、私が明治神宮に参拝に行った時、お孫さんの手を引いて私のすぐ前を歩いていました。随分背の高い人だナと云う思い出はくっきりと刻まれています。
 天皇陛下のお膝許で日本の軍隊が反乱軍と呼ばれるような大事件を起した日に、私達は十四歳、女学校二年生だったので、大よその事は分る年代で歴史の中に混っていたと云うのは貴重な事と思っています。(平成十九年二月二十六日記・倉本トモ子・八十五歳)

  コスモス                           山口ハル子


 秋がきた。今年の夏は毎日三十四度ありほんとうに暑い日々であった。
 待たれた秋であるが、残暑きびしくであった。だが夜になると虫の声、風の中に、秋を感じる。コスモスの花は美しく咲いている。かれんで人の心をなごませてくれる。好きな花の一つである。パンパスグラスも風にゆられている。
 東京オリンピックに聖火を持って走った長男。あの日もパンパスグラスが白き穂を風になびかせていた。遠い日が昨日のように思い出される。秋は何となく静かさを感じさせる。
 又来年もコスモスが見られるかなと思っている。何時のまにか八十路の仲間入りになってしまいました。