詩誌「詩人散歩」(平成21年秋号)

yuyake
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  自分と心                         倉本佳代子


 今日は五月半ばの気持ち良い晴天、一年中で一番気候の良いときです。本来なら外気を吸いに家の近くを歩くだけでも心が明るくなると思うのに、此の自分と云う人はそうしない。どうして?何となく面倒くさい。若し知った人に逢えば挨拶をしたり口をきいたりしなければならない。それが面倒と云うもの。それなら、いつもの自分の顔や背格好を全く変えて道を歩けば誰も分からないでしょう。とは思うものの、役者や俳優ではないからそれは上手に出来ない。せいぜい出来るのは帽子を深目に被り、色の眼鏡をかけ、いつもと違う服を着て外出すること位です。しかし私は押して歩く車が無いと一歩も歩けない、と云うのですから逃げ様がありません。気がついたら自分から、にこやかに挨拶することに依って、自分も相手も気持ちが明るくなると云うもの。折角与えられた人生は一寸した挨拶に依って社会を明るく出来るなら、残された年月をにこやかに挨拶して過したいもの、と思う自分もここに同居しているのです。

  過ぎゆく日々                       山口ハル子


 月日の立つのは早く、もう七月かとカレンダーを見る。梅雨に入り、雨になったりお天気になったり洗たく物を入れたり出したり日が過ぎて行きます。
 私もお蔭様で米寿を迎へひざかんせつの足をかばいながら、一人の暮しもぼちぼちと食事の支度をして一日が過ぎて行きます。人の手もかりずに過ぎゆく日々にほんとに有難く思っています。
 お元気ですねと、近所の方が声をかけて下さいます。お蔭様でと返事をします。
 命の終るまで元気で過してゆく事は、何よりも幸なことだと思います。
 何時も下手な作文をのせて頂きありがとうございます。
 よろしくお願い致します。