詩誌「詩人散歩」(平成22年秋号)

yuyake
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  「記憶」について                      浪 宏友


  記憶

 脳が記憶するという話を聞いて、納得していたが、DNAは記憶であるという話を耳にした。そうだな、DNAは記憶なんだなと、納得している。地球上に生命体が誕生してから現在までの、生命体の苦闘の記憶が、DNAにはぎっしり詰まっているにちがいない。
 人間の体は、数十兆の細胞からなっていると言われている。そのすべてがDNAを持っている。数十兆の細胞の一つ一つが、記憶を備えている。こう見てくると、体は記憶の固まりである。
 しかし、記憶は脳とDNAだけでもないのではないか。まだ我々が目を向けてないどこかに、記憶が満々と蓄えられているのではないか。
 記憶は何のためにあるのだろう。おそらく、未来に向かってよりよく生きるためである。過去を悔やんで落ち込むためではないと、私は思う。

  記憶の生成

 自発的に行動したことが記憶に残ると語られているが、これは首肯できる。自分のしたことは記憶に残る、他人がしてくれたことはさっさと忘れていたりする。
 進んで行なったことは身につくけれども、いやいややらされたことは、さっぱり、身につかない。

 自発的に行なったことでなくても、繰り返し経験したことが、記憶に残ることもある。親から耳たこで聞かされた言葉が、いきなり浮かんできたりする。
 衝撃的な経験は、記憶に残る。恐ろしい光景が焼きついて、夢にみたりする。
 記憶のメカニズムは分からないが、私たちは、さまざまな仕方で、いつしか膨大な記憶を蓄えている。

  記憶と自分

 記憶が行動に影響している。いや、記憶が、行動を作っているのではないか。記憶が種となって、行動が生み出されているのではないか。
 認識、判断、決断から行動へ。こうした過程において、記憶が決定的なはたらきをしていると思われてならない。
 こうして生み出された行動が、更に記憶の上積みをしているのかもしれない。
 行動が記憶をつくり、記憶が行動を生み出す。その循環の中から、今日の自分が生まれ、明日の自分が生まれる。
 そうだとすれば、明日の自分の作り方が見えてくる。成りたい自分に方向づけ行動によって記憶を育て、育てられた記憶によって、自分の行動を支え、こうした循環を意図的に作れば、成りたい自分に向かって歩めるのではないか。

  古いレコード                        山口ハル子


 暑い毎日が過ぎてゆきます。毎日雨が降りそうな空をながめています。
 山ではカラスがカァ−カァー泣いています。レコードをかけてみたらカラスなぜ泣くのカラスは山に可愛いい七つの子があるからよ可愛い可愛いとカラスは泣くの、暫く聞いておりました。子供の頃にならった歌に暫く耳をかたむけておりました。
 老いて行く日々、ぼちぼち家事をしながら古いレコードを聞くのもよいものだと思います。