詩誌「詩人散歩」(平成23年春号)

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  まず人さま                         浪 宏友


 仏教に、四摂事(ししょうじ)と呼ばれる教えがある。「布施・愛語・利行・同事」がそれである。「四摂法(ししょうぼう)」とも呼ばれる。
 「摂」は「摂受(しょうじゅ)」、すなわち相手を大きな心で受け入れることであろう。そのありかたやはたらきを、四つのキーワードで示したのが、四摂事なのであろう。
 中村元先生の『仏教語大辞典』(東京書籍)に学ぶと、「四摂事」の意味のひとつとして、「社会生活上欠くことのできない四つの徳」があげられている。これは、自分が人とつながり合うとき、自分に欠かせない四つの徳であるにちがいない。
 「徳」とは、真理に合った認識、思考、判断、行動を生み出すもとになる人間的な資質であると、私は理解している。「徳」を具えている人は、自他を共に幸せにし、現在と未来を幸せにする、そういう行ないができる人である。

 四摂事の一番目は、「布施」である。正しいことを教える「法施」、財物を与える「財施」、身をもって人に親切にする「身施」、人の心から不安を取り除いてあげる「無畏施」などがある。互いに生かされ合い生かし合って生きている人間の真実に根ざした、本質的な行ないである。
 二番目の「愛語」は、優しい言葉をかけることとされる。相手の現在を受容しつつ、よりよき未来をみつめ、相手の生命を活性化する、そういう力のある言葉や話し方が愛語なのであろうと、私は考えている。そういう言葉や話し方は温かさと優しさに満ちている。
 三番目の「利行」は、相手に利益(りやく)を与える行ないをすることである。利益とは、真理を実践することによって得られる幸福や恵みのことである。
 われわれの行ないには「身の振る舞い」「言葉の振る舞い」「心の振る舞い」があるが、そのすべてが、人を真理に導き、人が利益を手にする助けになることが望まれる。
 四番目は「同事」である。相手の身になって考えたり行なったりすることである。この意味の同事が欠けている布施、愛語、利行は、場合によっては余計なお世話になり兼ねない。同事には協力する、協同することも含まれる。

 四摂事は、智慧に支えられていることを忘れてはなるまい。智慧とは、真理に合った認識・思考・判断であり、真理に合った行ないを生み出す力である。智慧の土台なしには、四摂事という柱は建てることができないであろう。

 これら四つは、すべて「相手のために」という精神で貫かれている。
 相手を受容し、相手の立場に立ち、相手の人生・生活のために、自分のできることをさせてもらう。そういう姿勢が、相手との間に良好な関係を生み出すにちがいない。その意味で、四摂事は、よりよい人間関係を生み出し育てる重要な教えであると受け取れる。

 「四摂事」の教えは、幼少年時代に父母から教えられた「まず人さま」を思い出させてくれる。
 「まず人さま、それから自分」の順序でものごとを行うと、人との関係が良くなった。自分に支障が出ることはほとんどなかった。日頃「まず人さま」でやっていると、いざというときには相手が譲ってくれることも分かった。
 「まず人さま」は、どうやら、「四摂事」への入り口なのであった。