詩誌「詩人散歩」(平成27年春号)

yuyake
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  如是姫と善光寺                      大 場 惑


  如是姫の像

 長野駅善光寺口の駅前広場にいくと、青銅製の女性の像に逢うことができます。頭には宝冠風の髪飾り、服装はインド風です。左手に持つ香華から噴水が上がっています。像は、駅からみると右のほうを向いています。
 この女性は如是姫(にょぜひめ)で、香華を捧げて、善光寺に向かっているところです。

  月蓋長者の伝説

 
 昔、インドに月蓋(がっかい)という長者がいました。釈尊ご在世のときでしたが、欲張りの月蓋はなにもしない出家者を見下していましたから、教えに耳を傾けようともせず、ひとかけらの供養もしようとしませんでした。
 ある時、月蓋の最愛の娘である如是姫が大病に罹りました。月蓋は医者を呼び、薬を買い、手を尽くしましたが、どうにもなりません。
 疲労困憊して途方に暮れているとき、周りの人々から釈尊におすがりするように奨められました。月蓋は、今まで釈尊を見下していたことも忘れて駆けつけました。
 釈尊は月蓋をにこやかに迎えられ、温かなお声を掛けられて、西方極楽浄土におわす阿弥陀如来におすがりしなさいと念仏を授けました。
 月蓋は帰宅すると祭壇を設け、一心に念仏を唱えました。すると阿弥陀如来が観世音菩薩と大勢至菩薩を伴って月蓋の前にお姿を現わしました。
 月蓋は阿弥陀さまの尊いお姿に打たれ、慈愛の光に包まれて心の底から感動しました。これまでの考え違い、行ない違いに気づき、心からお詫びしました。感動のあまり、如是姫の病気平癒をお願いすることも忘れてしまっていました。
 不思議なことにその日から、如是姫の容態が快方に向かい、まもなくもとの元気な姿に戻りました。
 月蓋はすぐに彫刻師を呼び、自分の拝した通りの一光三尊像を造らせて祭壇にご安置し、毎日真心こめて供養しました。
 如是姫は自分が阿弥陀さまに救われたことを知り、香華を捧げてお礼に向かう姿が、長野駅善光寺口駅前広場の如是姫の像なのです。
 善光寺本尊の元をたどれば月蓋長者が造像させた一光三尊の阿弥陀如来像です。脇侍は梵篋印(ぼんきょういん)を結んだ観世音菩薩と大勢至菩薩です。遥かインドから百済を経て日本に渡り、日本でも数奇な過程を経て善光寺に祀られているのです。
 善光寺開闢の物語は、伝説また伝説の複雑な積み重なりです。
 その始まりが如是姫の物語だからでしょうか、善光寺は女性救済の寺とも言われています。

  善光寺御開帳

 平成二十七年は、数え七年に一度の善光寺御開帳の年です。三月二十九日に回向柱受け入れ式が行なわれ、四月三日の回向柱建立を経て、四月四日の前立本尊御遷座式から六月一日の前立本尊御還座式までの間、数度に渡る大法要と、いくつもの奉納行事が執り行われます。この間、全国各地から善男善女が参拝に訪れ、一光三尊のご本尊と結縁します。その人数は六百万人を超えます。
 式典の名称にもある通り、御開帳されるのは前立本尊像です。月蓋長者からの伝来の本尊像は絶対秘仏で、厨子の扉は長い間、開かれたことがありません。戦国武将たちが奪い合ったこともあり、善光寺が幾度となく火災に合ったこともありで、本尊像は存在しないと論じる人もいるようです。
 仏像があろうとなかろうと、阿弥陀さまは常に私たちを慈しんでくださっています。阿弥陀さまは、いつでも私たちと共にいて、無量の光を注いでくださっています。私たちはその光に導かれて教えを実践しながら、阿弥陀さまに一身をお任せすればいいのです。