詩誌「詩人散歩」(平成27年秋号)

yuyake
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  善光寺仁王門の神々                    大場 惑


 仁王さまは金剛力士と呼ばれるが、もとは執金剛神である。妙法蓮華経観世音菩薩普門品では、観世音菩薩の三十三身の一つになっている。
 執金剛神が門の両脇を固めているので、二王門と呼ばれ、仁王門となり、執金剛神も仁王さまと呼ばれるようになった。そんな話を聞いたことがある。
 筋骨隆々たる肉体で、憤怒の形相をしているけれども、よく見ると、たいていの仁王さまはどこか優しい。根は慈悲に満ちた菩薩か仏なのかもしれない。

 長野市善光寺仁王門では、左側の仁王さまが、口をかっと開けた阿形、右側の仁王さまが、口を真一文字に結んだ吽形。
 阿はものの始めを表わし、吽はものの終わりを表わす。阿吽で、万物万象を表わしていると説明されている。

 善光寺仁王門をくぐって、吽形の仁王さまのうしろにまわると、そこには瑠璃紺に彩られた神さまがいる。憤怒形、三面六臂の三宝荒神だという。三宝とは仏・法・僧のこと。仏陀・教法・僧伽を護る荒神さまである。仏教寺院に相応しい神さまといえる。
 荒神さまといえば、子どもの頃、父母が台所に小さな神棚をつくり、荒神さまのお札を祀って台所の守護を願っていたことを思い出す。

 阿形の仁王さまのうしろには、三面大黒天が祀られている。正面に大黒天、大黒天から見て右側に毘沙門天、左側に弁才天の顔がある。三面六臂の尊像だという。
 馴染の深い七福神は、恵比寿・大黒天・弁才天・毘沙門天・布袋尊・寿老人・福禄寿である。このうち、恵比寿は日本の神である。布袋尊・寿老人・福禄寿は、中国出身の神々、大黒天・弁才天・毘沙門天はインド出身の神々である。七福神のうち、インド出身の三柱の神々が、ここでは一体となって、三面大黒天になっている。

   インドの神であるシヴァ神は、ヒンドゥー教の主神の一人である。シヴァ神はさまざまな名前で現われる。そのひとつがマハーカーラで、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるという。マハーは大きい、カーラは黒とか暗黒を意味するから、マハーカーラは大黒(だいこく)となる。

 出雲大社と深い関係にある「大国主命」は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫で、「大国(だいこく)」とも呼ばれる。マハーカーラの「大黒」と、大国主命の「大国」とが混ざり合って「だいこくさま」となり「大黒さま」と表記されるようになったらしい。そう言われてみれば、善光寺の三面大黒天正面の大黒さまの顔は、黒い。

   ヴィシュヌも、ヒンドゥー教の主神のひとりであるが、日本では毘沙門天である。
 毘沙門天は仏教の守護神として、重要な位置を占めている。仏法を守護する四天王は、持国天・増長天・広目天・多聞天であるが、この多聞天が毘沙門天である。妙法蓮華経陀羅尼品では、毘沙門天王護世者として現われ、法華経を広宣流布する法師を護るために、陀羅尼を説いている。

 古代インドの大河サラスヴァティーの女神が、仏教経典に載って日本に伝わってきた。『金光明最勝王経』に登場する大弁才天女である。インドでは、芸術、学問などを司るヒンドゥー教の女神である。弁才天は、日本の農業神である人頭蛇身の宇賀神と結びついて、弁財天と表記されるようになった。

   大黒天・毘沙門天・弁才天が七福神のメンバーになったり、三面大黒天として一体化した経緯はまったく分からない。伝教大師最澄だか、弘法大師空海だかが、三面大黒天を最初に祀ったという言い伝えがあるらしいが、定かでない。

 豊臣秀吉が念持仏にして、厨子に入れて持ち歩いたという話は、実際にあったことらしい。 三柱の偉大な神が一体となっているのだからその力も並外れたものであり、ご利益も並外れて大きいに違いないと考えて、守護を頼んだのかもしれない。