詩誌「詩人散歩《(平成28年秋号)

yuyake
◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  幻 覚                         大場 惑


 ポケモンGOのアプリをスマホに入れると現実の風景の中にポケモンが現れる。これを捕まえたり、育てたり、バトルしたりする。
 そんな話を聞くうちに、かつて学んだことのある「幻覚」を思い出した。

 幻覚とは、他の人には見えないものが見えたり、聞こえない声や音が聞こえたりする現象である。本人が幻視したものに手を伸ばしたり、幻聴に答えたりするさまが、周囲の人には奇妙に見える。

 ポケモンGOは、いわば、人工幻覚だなと私なんかは思う。公園などで、大勢の人々がスマホを見ながら幽歩(遊歩ではない)しているさまが、そう思わせる。

 最近、バーチャルリアリティというテクノロジーが報道されている。
 装着したヘッドマウントディスプレイなる装置によって幻覚を与えられると、人は幻覚に対応して身体を動かす。周囲からは、現実にそぐわない奇妙な行動に見える。
 バーチャルリアリティは人工幻覚のテクノロジーであると、私は理解している。
 このテクノロジーは、疑似体験、訓練、遊びなどに活用されているらしい。

 人間は自分の感覚・知覚を通して認識したものを実在するものと受け取り、これに対応する行動を取るが、それに留まらない。さらに過去からの記憶や、推理・推測によって生じたイメージなどが混然となってさまざまな認識が生じ、これに対応して行動する。

 学問的な定義は知らないが、仮に、実際の事実とは異なる認識を持ち、これに対応して行動することを幻覚あるいは幻想と名付けてみよう。すると、われわれは、幻覚・幻想の中で日常を送っているような気がしてくる。幻覚・幻想と実際の事実の中で、危うい生活をしているように思えてくる。

   人を待ちわびているときに、鳴りもしないチャイムが鳴ったと思って、玄関に出た経験がある。これは、幻聴のたぐいであろう。
 他人が、自分のことをああ思っているにちがいない、こう思っているにちがいないと幻想を抱いて一人で思い悩んでいる人がいる。
 ある日、突然、思いもよらない文句をがなり立てられて戸惑ったことがある。なんらかの噂を聞くうちに、私がその男の悪口を言いふらしているという幻覚を持ってしまったらしい。迷惑至極な幻覚である。

 他人の幻覚・幻想は止められない。せめて自分は幻覚・幻想に惑わされないでいたい。実際の事実の中で、適切に生きていきたいとつくづく思う。
 仏教ではこれを、ありのままの世界で、ありのままに生きるというらしい。