自燈明・法燈明 大場 惑 |
老齢となった釈迦牟尼世尊が、毘舎離国の竹林村で雨安居に入った際、重い病に見舞われた。ようやく回復したとき、阿難が、病床の釈迦牟尼世尊を前に不安になったことを訴えると、釈迦牟尼世尊は自燈明・法燈明の教えを説いてたしなめたという。(増谷文雄編訳『阿含経典第六巻』筑摩書房、p.72〜77) このエピソードから、自燈明・法燈明の教えは、釈迦牟尼世尊が阿難に向かって残した遺言とされている。それほど印象深い場面なのである。
経文を渉猟すると、舎衛城の祇園精舎、ヴァッジ国のウッカチューラー村でも、修行者たちに向かって、自燈明・法燈明の教えを説いている。(増谷文雄編訳『阿含経典第三巻』筑摩書房、p.197,p.200)
私は、次のエピソードに興味を持っている。
釈迦牟尼世尊は世の中を見まわした。そこには、数多くの修行者や宗教家がいたけれど、戒に関しても、定に関しても、慧に関しても、解脱に関しても、解脱知見に関しても、釈迦牟尼世尊よりすぐれている人を見出すことができなかった。
このエピソードについて、中村 元博士は次のように述べている。
自燈明・法燈明の教えは次のように説かれている。
自燈明とは、主体性を持つということであろう。人から強制されたり、誘惑に乗ったりすることなく、主体的に判断し、行動することであろう。
毀誉褒貶に惑わされず、権力に屈することなく、権威に寄りかからず、ただ普遍的な真理を基準として主体的に判断し、普遍的な真理を拠り所として主体的に行動する。それが、自燈明・法燈明であろうと思う。
釈迦牟尼世尊の説法は、八万四千と言われる。それほど多くの説法をしたということと共に、それほど多様な説法をしたということでもあろう。
自燈明・法燈明の精神は、釈迦牟尼世尊による初転法輪から、最後の仏弟子となった遊行者スバッダに対する説法までを貫いているのであろうと、私は推測している。
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