詩誌「詩人散歩」(平成29年秋号)

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◆これまでの【エッセイ】を掲載しています。

  瞋恚                           浪 宏友


 ちょっとした失敗をした人を咎めて、激しく怒る人がいます。
 その人がどのように失敗したのか、確かめようともしません。失敗の原因を考えることなどまったくありません。ただ、相手が失敗したことだけを責めまくるのです。
 自分は生まれてこのかた、ただの一度も失敗したことはないというような勢いです。

 人は、ややもすると、すぐに怒ります。ムカッとくるとか、イラッとするとか、カッと頭に血が上るとか。

 瞬間湯沸かし器とあだ名される人がいました。ちょっと気に入らないことが起きると、たちまち怒鳴り声が飛び出してくるのです。
 この人は、いつも難しい表情をしていました。気に入らないことが起きたから怒鳴るというよりも、四六時中怒っていて、怒鳴るきっかけを探し求めているとさえ見えました。

 怒りっぽい人の多くは、常になんらかの不安を抱えているのだそうです。不安感を刺激されると不安を払拭したいがために、怒り出すのだそうです。攻撃は最大の防御などと言いますが、怒って怒鳴って相手を攻撃し続けることで、自分を護っているということなのでしょうか。

 仏教では、貪欲・瞋恚・愚痴の三つの迷いを、三毒といいます。
 貪欲とは、必要以上に膨張した欲望や、歪んだ欲望です。
 瞋恚とは自分本位の怒りを発することです。
 愚痴とは、事実を見きわめることもできず、正しいすじみちでものごとを考えることも、行なうこともできなくなっていることです。

 三毒は、三つの迷いと考えるよりは、自分本位から生じる一つの迷いの三つの面と考えた方がいいようです。貪欲と瞋恚と愚痴は、切りはなして考えることができないからです。また、貪欲と瞋恚と愚痴は相互に強化し合うからです。

 貪欲が大きくなれば、瞋恚も強くなります。瞋恚によって、欲望はさらに膨張し、歪みも大きくなります。貪欲が強化されるわけです。
 愚痴が深まれば、瞋恚も起こしやすくなるでしょう。瞋恚は愚痴をさらに深めます。
 貪欲・瞋恚・愚痴を放置すれば、迷いは際限なく深まることになるでしょう。

 ダンマパダに「すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、−−−これが諸の仏の教えである」とあります。
 「悪しきこと」のおおもとは、「貪欲・瞋恚・愚痴」でありましょう。「悪しきことをなさず」とは、「自分本位の心を捨て、貪欲・瞋恚・愚痴を滅する」ことでありましょう。
 「善いことを行なう」とは、「自分・他人・世間の幸せのためになることを行なう」ことでありましょう。

   怒り癖のついている人が瞋恚を捨てるのは容易ではないでしょうが、真の幸せのためには、やはり捨てる努力をするべきだと思うのです。