転法輪 大場 惑 |
法華三部経の開経とされる『無量義経(むりょうぎきょう)』に「転輪王(てんりんのう)」と出てくる。「転輪聖王(てんりんじょうおう)」とも言う。これについて庭野日敬師の解説がある。 「むかしのインドでは、徳のすぐれた王には天から輪宝(りんぽう)というものが授けられ、その輪宝を転がしてゆけば、向かうところ敵なく、すべて征服される、といういいつたえがあります」(庭野日敬著『新釈法華三部経1』佼成出版社、p.66) 経文にはしばしば「転法輪(てんぽうりん)」という言葉が出てくる。法輪を転がすということで、これについても解説がある。 「〈転法輪〉というのも、たびたび出てくる大切なことばです。〈輪〉は、まえに転輪聖王のときに説明したものですが、仏の教えはあまねく衆生界をめぐりめぐって一切の煩悩をうち砕くというので、〈法輪〉といわれます。その法輪を転ずるというのですから、つまり〈法を説く〉という意味です」(同書、p.80) 「仏説観普賢菩薩行法経」は、法華三部経の結経とされている。この中に「正法輪を断ずる」と出てくる。これについては、次の解説がある。 「正しい教えは、車の輪がどこまでも回転していくようにひろがり、おおくの人を救うはずのものを、法を謗(そし)る口の禍(わざわい)によって、その回転が断ち切られることをいうのです。これほど恐ろしい罪はありません」(庭野日敬著『新釈法華三部経10』佼成出版社、p.151〜152) 転がり出した車輪がどこまでも転がり続けるように、教えが世の中に伝わり広がって多くの人々が救われる。 倒れた車輪はもう転がることができないように、教えが伝わるのを断ち切ると、その先の人びとが救われなくなる。 そうしたことが「法輪」の教えとして説かれている。
中村 元博士の監修になる『原始仏典第三巻』(春秋社)に「転輪王と人間の寿命−−−転輪聖王修行経」があった。Dr.phil.岡田真美子氏の翻訳である。この経に「天の輪宝」と「転輪聖王」の話が出てくる。
この話は、インドの説話が仏教によって意味づけられたのであろう。そのために、転輪聖王の輪宝がそのまま法輪になっている。
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