[ビジネス縁起観からのメッセージ]        浪 宏友


◇エピソード
 孔子が子貢に向かって言いました。「おまえと顔回とどちらがすぐれていると思いますか」
 子貢が答えました。「わたしは顔回にはとても及びません。顔回は一を聞いて十をさとりますがわたしは一を聞いて二をさとる程度です」。
 孔子はうなずいて言いました。「そのとおりですね。わたしもおまえと同じように顔回には及ばないのですよ」と。
 このエピソードから「一を聞いて十を知る」という諺がうまれたそうです。

◇諺
 「一を聞いて十を知る」とは「物事の一端を聞いただけで全体を理解するという意味で、非常に賢く、理解力があることのたとえ」と解説されています。
 いうなれば、部分的なデータを解析して、ものごとの全体像を描き出すことのできる能力であると言えるでしょう。
 科学的な素養のある人なら、時間をかければある程度できると思います。ただ、この諺には、一を聞いたら即座に十を知るというニュアンスがあります。そこのところがすごいのだと思います。

◇的外れ
 ところで、世間にはとんでもない「一を聞いて十を知る」人もいるのです。
 私があることを関係者に伝えようと一言、二言話し始めますと、その人が横合いから話を奪い取って滔々としゃべり始めます。私の一言を聞いただけですべてが分かってしまったらしいのです。
 本当に分かっているのならいいのですが、たいていの場合、的外れです。主題がずれます。無意味なデータが持ち込まれます。私が伝えようとした目的は完全に無視されます。
 これでは用が足りません。

◇苦肉の策
 この人は、他人の話を聞こうとしません。自分の言ったことに責任を持ちません。行動が伴いません。
 私はこの人を信用しなくなりました。大切な話は、この人がいないときにするようにしました。この人には個別に、必要最小限の情報を提供しました。その都度、ご高説を伺うことになりましたが、覚悟のうえでした。仕事を前に進めるための苦肉の策だったのです。

◇本当の「一を聞いて十を知る」
 本当の意味で「一を聞いたら即座に十を知る」ような能力は、優れた直観力、優れた洞察力、優れた論理力と広く深い知識、そして優れた表現力によって成り立っていると考えられます。これらの能力は豊かな経験に裏打ちされているにちがいありません。
 並みたいていのことでは、この域に達することはできないだろうと思います。(浪)
☆「詩人散歩」平成26年夏号に掲載