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目の前に、間違ったことを言い、間違った行動をする人がいると、気に障ります。お前は間違っていると指摘して、直させたいと思います。しかし、面と向かって指摘しても、相手が直すことはまずありません。喧嘩になったり、そっぽを向かれたり、気まずい間柄になるのが落ちです。
まして、相手が上司であれば、指摘することすらできません。心の中で非難しながら、非難に留まらず怒りを発しながら、黙って見ていることしかできません。ついに我慢の限界を越えて、上司を怒鳴りつけ、大喧嘩になり、職場を飛び出してしまったという話もあります。
相手がどんなに間違っていても、こちらから直すことはできません。相手を直すことのできるのは、相手本人だけです。たいていの場合、相手は直そうとしません。何故なら、間違っているという意識がないからです。相手は相手なりに、自分は正しいと思いつつ、言葉を発し、行動しているのです。
こちらが相手よりも上の立場にある場合、呼びつけて注意することはできます。相手は、こちらの地位という力に屈して、言葉をつつしみ、行動をつつしむこともありますが、たいていは一時的なものです。あるいは、こちらの目の前にいるときだけのパフォーマンスにすぎません。本当の意味で直すことは、まず、考えられません。
こういう場合、自分ができることは、自分を直すことだけです。相手の言動に腹を立てているという自分を直して、腹を立てなくなることです。
相手の言動に腹を立てて怒りを発すると、自分の発した怒りによって自分を傷つけ、精神的に退歩します。精神の次元が下がります。
相手の間違った言動に巻き込まれて、怒りを発しているというすがたは、考えてみれば、次元の低い相手に巻き込まれて、自分を失っているすがたです。自分もまた、相手と同じ低い次元に落ち込んでいるすがたです。
相手が低次元にいようとも、こちらは高次元でいたいものです。相手は相手の人生、こちらはこちらの人生です。相手に引きずられて、自分の人生の次元を、むざむざ引き下げる必要など、どこにもないと思います。(浪)
☆「詩人散歩」平成28年秋号に掲載
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