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あるとき、こんな質問を受けました。 「褒めて育てるほうがいいのでしょうか? 叱って育てるほうがいいのでしょうか?」 私は即座に、「褒めたり、叱ったりして育ててください」と申し上げました。 相手により、場合によって、適宜、褒めていただきたいし、叱っていただきたいと、そう思ったからです。 しかし、まだ若かった私は、大事なことに言及できませんでした。褒める基準、叱る基準について、何も言わなかったのです。
何のために褒めたり、叱ったりするのでしょうか。親は、子供のためと言うでしょう。社長は、社員のためと言うでしょう。しかし、子供のためとは、社員のためとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。
親や社長に都合の良い結果を出したときに誉める、都合の悪い結果を出したときには叱る、あるいは怒る。これでは、親や社長の都合が基準になっているのですから、子供のためでもなく、社員のためでもありません。
考えてみれば、「褒める」も「叱る」も、上から見下ろした言葉です。これが、相手を支配し、服従させるための方法になっていたら、教育・育成とは何の関係もなくなります。
本当に相手を成長させたいのであれば、褒めるとか叱るとかに拘泥することなく、本当に正しい方法を模索する必要があると思います。
それにしても、相手を見くだすことはやめたいものです。相手が子供であっても、社員であっても、一人の人間として尊重し、敬意をもって対したいと思います。
相手を人間として尊重し、敬意をもって対すれば、本当はどうすればいいのかが、自ずから分かってくるに違いないと、私は考えています (浪)
☆「詩人散歩」令和元年夏号に掲載
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