[ビジネス縁起観からのメッセージ]      浪 宏友



 仏教の「戒」について学んで見ますと、「仏教の信徒が守るべき行動規範」とか「仏教では在家の人びとには五戒というルールがあります」というような説明がなされます。在家の五戒とは、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五つの戒めです。 こういう説明から、こういうことはしてはならないという戒めがあり、その戒めを守るのが「戒」であると、私は、長年、思ってきました。そして、これらの戒めを守ろうとしてきました。

 不飲酒は、お酒を飲んではいけないという戒めですが、これは、とても守れません。何故、お酒を飲んではいけないのかを調べましたら、お酒を飲んで酔っぱらうと、前の四つの戒めを破ってしまうからとありました。ああ、これは「お酒を飲むな」ではなくて「お酒に飲まれるな」ということだなと思いました。そこで、不飲酒を「お酒に呑まれてはいけない」と解釈しました。

 最近、改めて「戒」の勉強をしました。すると、「戒」に対する私の理解は不十分だったのではないかと思いました。
 戒めを与えられて、これを実行するのが「戒」だと思ってきたけれど、それは初心者の段階なのだと分かってきたのです。戒めを与えられて実行するのは、どちらかと言えば、他律的です。しかし、本来の「戒」は、自発的、自律的なものだと分かってきたからです。

 自分のことを振り返ることができるようになりますと、自分にはこういう悪い癖があると自覚することができます。この悪い癖を直したいと思い、この悪い癖を無くす修行をしようと、自発的に決心します。これが、本来の「戒」の始まりです。

 なおしたい悪い癖によって、行なうべき修行は異なります。自分の場合は、この悪い癖を直すためにこの修行をすればよいと理解し、その修行に入ります。ここからが「戒」の実践です。

 まず、すっかり身に着いてしまっている悪い癖が行ないとして出ようとするのを察知して、押さえ込む努力をします。これを「止惡の戒」と言います。 この悪い癖を裏返したところにある善い行ないを実行しようと努力します。これを「修善の戒」と言います。止惡の戒と修善の戒はワンセットで、自分の悪いところを無くそうとする取り組みです。
 さらに、自分の善いところを発揮して、人びとのために尽くそうという努力を加えます。これを「利他の戒」と言います。自分の善いところを伸ばしますと、悪いところが出にくくなるのです。
 こうした努力を、自発的、自律的に行なうのが、本来の「戒」なのだと分かってきたのす。

 こうして「戒」の実践に入っても、続けるのは容易なことではありません。それでも、行きつ戻りつしながら「戒」の実践を続けていけば、やがて、安らかな心で、生き生きと活動することができるようになることも、だんだん分かってきました。(浪)