[ビジネス縁起観からのメッセージ]      浪 宏友


 最近、久しぶりに、「瀬戸の花嫁」という歌を耳にして、懐かしく思いました。小柳ルミ子さんが歌っておられたと記憶しています。
 歌詞の一節に「若いとみんなが心配するけれど 愛があるから大丈夫なの」とあります。あたたかく、快いひびきです。

   チャペルウエディングでは、聖職者が「その健やかなるときも 病めるときも 喜びのときも 悲しみのときも 富めるときも 貧しいときも これを愛し これを敬い これを慰め これを助け その命ある限り 真心を尽くすことを誓いますか」と問いかけ、二人が「誓います」と答えます。厳かで、美しい場面です。ここにも「愛」という言葉があります。

 ある女性は、赤い薔薇百本の花束を捧げられてプロポーズを受け、承諾しました。嬉しかったそうです。赤い薔薇の花言葉は、「愛」そして「情熱」だったですよね。

 いきなり、「愛って、何?」と問われたら、あなたは、どう答えますか。
 働く若者たちに訊ねたという資料がありました。多い順に、
 「相手を大切に思う気持ち」
 「相手の幸せを願う気持ち」
 「相手をいとおしく思う気持ち」
 「相手のすべてを許し受け入れる気持ち」
と、なったそうです。なるほど、そうだなあと思います。
 こうした気持ちは、どういう行為・行動を生み出すのでしょうか。この点は、はっきりしませんでした。

   私が仏教を通して学んだ「愛」には、大きく二つあるように思います。ひとつは「愛著」、もうひとつは「慈悲」です。

    愛著とは、欲望の対象に心が縛り付けられたようになってしまうことです。何かにつけて、欲望の対象を中心にものごとを考えたり、行なったりします。愛着は、対象を自分のものにしようとします。愛着は情熱的ですが、智慧を伴わず、不安定です。燃え上がりやすく、消えやすいように見えます。

 慈悲は、智慧を伴った愛情です。智慧によって、相手のほんとうの幸せは何なのかを知り、相手がその幸せを得るように、導いたり、世話を焼いたりします。慈悲の求めるものは、相手が、相手らしく生きて幸せになってくれることです。自分のことは度外視します。

 先ほどの、若者たちの答えた四つの愛は、慈悲に通じるように思われて、とても頼もしく思いました。(浪)