私は、子供のころから両親の影響を受けて仏法に親しんできました。
高校生時代、庭野日敬師の著作『法華経の新しい解釈』(佼成出版社)に出合い、ここで「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」という教えを読み、何か、とても重要なことを教えてもらったと感じました。
「諸行無常」とは、「あらゆる存在は変化する」という真理です。「真理」とは、あらゆる存在がそうなっているということです。
「諸法無我」とは、「あらゆる存在は、他の存在と関わり合いながら存在している」という真理です。
諸行無常と諸法無我は、二つに分けて説明されるので、私は当初二つの真理だと思っていました。
学び続けるうちに「あらゆる存在は、他の存在と関わり合いながら変化する」という、一つの真理であることに気付きました。これを私たちは「原因・条件・結果・影響の原理」として学び、活用しています。
「真理」とか「原因・条件・結果・影響の原理」についてのご説明は、ここでは割愛させていただきます。
やがて私は、あることに気付きました。それは、諸行無常・諸法無我の真理は、ある方向性をもっているということです。
諸行無常の真理は、発展・成長・向上という方向性をもっています。
諸法無我の真理は、調和という方向性をもっています。
存在は、他の存在と調和しながら発展するという方向性をもっているのです。
人が、この方向性に合った行ないをしますと幸福へと歩むことができます。これを、善因善果・善因楽果と言います。
人が、この方向性に背いた行ないをしますと苦悩が生じます。これを、悪因悪果・悪因苦果と言います。
苦悩する人が、自分の行ないの方向性を改めますと、幸福への道筋がひらけてきます。
諸行無常・諸法無我の真理は、調和と発展の方向性を持っていると、若い頃に仮説を立てました。その後、さまざまな角度から理論的な研究を深め、長年にわたって実践的な研究を繰り返してきました。そして、私の中では、仮説ではなく真理となりました。
いま、私は、「この世界は、諸行無常・諸法無我ワールドである」と確信しています。
この確信を人さまに押し付けるつもりはありませんが、それぞれにご研究いただければありがたいと思っております。(浪 宏友)