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「忍辱」の意味
妙法蓮華経の法師品から従地涌出品までを「忍辱」という修行が貫いています。「辱めを忍ぶ」となっているために、内容が正しく伝わらないのが残念です。
「忍辱」というのは、つまり「寛容」ということです。それも、人に対してだけでなく、だんだん修行を積んでゆくと天地のあらゆるものに対して腹を立てたり、恨んだりしないようになります。
忍辱は我慢とは違います。我慢は、心の中に怒りや恨みがあっても、じっとこらえて外に出さないことです。
また逆に、「最高にすばらしい人だ」というようにおだてられても、有頂天にならず、じっと自分をかえりみるのも、ものごとがうまくいったからとて、優越感を起こすことなく、下がる心を持するのも、やはりみな「忍」なのです。
自分に都合のいいことが起きたり、人から認められたりすると、たちまち得意になったり、威張り出したりするのは人間が小さいからです。そんなときにも謙虚に感謝し、謙虚に自分の成すべきことを成す心が大切だというのです。
心揺らぐ日々
身の回りの出来事のひとつひとつにかき乱される日々を送っていると、次第に身も心も疲労してきます。しかも、ただ振り回されているばかりの毎日からは、消耗したエネルギーに見合った成果を得ることができません。いわゆる「骨折り損の草臥儲け」になってしまいます。これでは、真の人間として生きる道を開くことも、歩むこともできません。
企業経営
企業も人間の営みのひとつです。経営者は、企業の性格に応じ、資力に応じ、業種・業態に応じ、能力に応じて、顧客、従業員、協力会社その他のステークホルダーと、経営者自身をしあわせにするように、経営していくことになります。
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