詩誌「詩人散歩」(令和07年冬号)

yuyake

◆これまでの【詩編】を掲載しています。

  紅梅                浪 宏友

山深い寒村
幼い女の子と男の子は
川辺の紅梅の下で遊んだ
はしゃぎまわり
ころげまわり
紅梅の下に寝っ転がって女の子は言った
わたし あんたの およめさんになってあげる

逞しく成長した少年は
都に行くと村を出た
少女は涙をぽろぽろとこぼした
少年は言った
三年目 紅梅の咲くころ 帰って来る
悲しみをこらえて 少女はうなずいた

庄屋の息子が 少女を嫁にしたいと言い出した
少女はかたくなに拒んだが
父親と母親は 庄屋に逆らいきれなかった
少女は言った
来春 紅梅が咲くまで待って欲しい

年が明け
紅梅が咲いた
少年は戻ってこない
庄屋の息子は やいのやいのとつきまとった

ある日を境に
少女の姿が見えなくなった
そういえば 紅梅のところで川を見ていたよ
そんな噂を流す村人があった

少年が村へ戻ってきたのは
桜が散り始めた頃だった

  秋の庭に              中原道代
暑かった夏が少しずつ遠ざかっていく
夕ぐれになると
北の窓から
虫たちの大合唱が聞こえてくる
ふと 掃除の手を止めた
遠くの友は今どうしているだろう
ご主人がいなくなった家でひとり
長い夜をひっそりとすごしているだろう
笑顔がすてきなあなたに
戻っているといいなあ
虫の声が私の中でレクイエムになっていく

今年の秋は短い
いつのまにか虫の声が消えていた
窓からは冷たい風が吹き込んできた

  優しさ               伊藤一路
優しいって何だろう
相手の幸せを願い行動すること?
相手の嬉しい事や喜ぶ事をすること?
相手の為に自ら犠牲になる事?
ほんとうにそう?

その為には相手のことをよく理解して考えないと
自分がしたい事やできる事じゃ無く
相手が望んでいる事をしないと

けど
結局自分が優しくして欲しいだけなんじゃないか
見返りを期待する安い優しさなんじゃないか
本当の優しさは無償の慈悲なんだろう
親が子を思うように見返りを求めない
平等な愛情が溢れる人間になりたいな

  四季のつぶやき           大戸恭子
脈々と 受け継がれてく 命かな

頑張るぞ そんな時には もうスプーン

温かい 土佐煮ふるまう 土佐のおきゃく

嵐過ぎ 行く先見えた 良い航路

磯野家で 今日もこぶしは かつをぶし

食卓に しっぽくうどんの 並ぶ頃

  新しい歩み             大場 惑
苦悩の底で
見向きもしなかった神仏に出会ったとき
当たり前にやってきたことが
とんでもない悪事だと気が付いた

正義のつもりで怒鳴りまくってきたが
まっしぐらに等活地獄へ行く道だった
思いやりのつもりで
恩着せがましくふるまってきたが
いばらの刺をまき散らしているだけだった
ごくつぶしどもと見下してきた人たちが
私を支えてくれる大きな力だった
悔いても 悔いても 間に合わない

これまでの私を捨てて
新しい私に生まれ変わらなければならないが
私の新しい歩みは ぐらぐらで
赤ん坊の歩みよりもおぼつかない