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辛い日々父親は、息子夫婦に、大きな屋敷を与えました。この屋敷にあるものなら、なんでも、好きなだけ使っていい。食べ物も、好きなだけ食べてよい。「ただ」と、父親は言葉を改めました。 「一番奥に、鍵がかかった部屋がある。あの部屋だけは見てはいけない」 若い夫婦はうなずきました。そして、毎日毎日、楽しく、幸せに暮しました。 ある日、若い妻は、垣根越しに、見知らぬ男から声をかけられました。 男は、鍵のかかった部屋のことを言い出しました。とにかく、開けてごらんなさいと、鍵のありかまで教えてくれました。 妻は、鍵をみつけ、奥に忍び入って、扉を開けました。夫も部屋の中を見ました。 そこへ、父親が帰ってきました。 父親は、言いました。 私の言うことに背いたお前たちは、この屋敷から出て行かなければならない。これからは、自分で働いて食べ物を得なさい。 屋敷から出た夫婦は、食べるために。必要なものを得るために、働かなければなりませんでした。父親の言葉に背いた罰なのでした。二人は、あの頃に戻りたいと思いながら、辛い日々を送るしかないのです。 労働は懲罰であるという思想があるのだそうですね。詳しいことは分かりませんが、そういう気持ちで働いている人も、少なくなさそうだなと思います。 「五時から男」という言葉がありました。昭和の終わりごろ、高田純次さんが出演したテレビコマーシャルで有名になりました。終業時間の午後五時になると元気になるサラリーマン、つまり仕事よりも遊びになるとイキイキするサラリーマンのことです。労働懲罰説が背景にあるのかもしれませんね。 みんなが幸せになる父親は息子に言いました。まず、手に職をつけなさい。 仕事に就いたら、蜂が蜜を集めるように働きなさい。蟻が塚を作るように、財を蓄えなさい。 蓄えた財は、自分と家族の生活のためと、仕事を続けるために使いなさい。将来のために蓄えておくことも忘れないように。ゆとりがあったら、社会のために使いなさい。 財を正しく求め、手に入った財を正しく使うなら、お前も、お前の嫁も子供も幸せに暮らすことができる。また、まわりの人々の尊敬も集まる。こうして、みんなが幸せになれる。 働くことは、自分を幸せにし、家族を幸せにし、まわりも幸せにする。この父親はそう言っているわけです。 これも一つの思想だと思います。労働幸福説とでも名付けましょうか。 財についての経文があります。長いので要点を申し上げますと、次のようなことが書いてあります。 正しく努力して、正しく財を集め、次のように使います。 自分と自分の家族を幸せにします。 友人たちを幸せにします。 将来に備えて蓄えます。 お世話になっている方々へ感謝の気持ちを表します。 正しい教えを説く人々のために、お布施をします。 先ほどの父親の言葉とほぼ同じです。 財を正しく獲得して、正しく使う。ここに、幸せに暮らす基礎があるのです。 お釈迦さまは、そのことを、繰り返しお説きくださっています。現代の私たちも、その教えをかみしめるべきでありましょう。 財を散逸させる行ないお釈迦さまは、財を集め、蓄えることをお説きくださるばかりでなく、集めた財を散逸させないようにとご注意くださっています。お酒に熱中することは、財を散逸させる行ないです。 仕事をするべき時間に、仕事をしないのは、財を散逸させる行ないです。 寝るべき時間に、街路をほっつき歩くのは、財を散逸させる行ないです。 賭博、パチンコなどに熱中するのは、財を散逸させる行ないです。 こうした行ないは、財を散逸させるだけでなく、自分や家族の安全を脅かす行ないでもあります。 このほかにも、さまざまな、財を散逸させる行ないがあります。 財を正しく集め、正しく使うということから外れた行ないは、自分の幸福を失うばかりでなく、家族の幸福も壊し、まわりの人々の幸福もゆるがせかねません。 よくよく、考えるべきことだと思います。 孤独に死んだ老人お釈迦さまの時代の話です。ある老人が亡くなりました。この老人は孤独でしたので、役人が家財の片付けに行きました。 みすぼらしい小屋に住み、ボロをまとい、酸っぱいおかゆをすすって暮らしていましたから、財産も無いだろうと思っていましたが、小屋の奥に、金銀財宝が隠してあったのです。 この話をお聞きになったお釈迦さまは、おっしゃいました。 心貧しい人は、莫大な財産を持っていても、正しく使うことができないのです。 自分のために使うこともできない、家族のために使うこともできない、世間のために使うこともできません。 そういう財産は、火事に焼かれ、盗賊に盗まれるなどして、だれも幸せにすることなく無くなってしまいます。 この老人が、財を正しく使っていれば、自分を幸せにし、家族・親族を幸せにし、社会を幸せにしたことでしょう。そうしていれば、人々に尊敬され、慕われながら、最後のときを迎えることができたにちがいありません。 祇園精舎舎衛城の長者スダッタは、お釈迦さまに深く帰依して、精舎を寄進したいと思いました。ジェータ太子の園林が最適と考え、譲ってくれるように頼みました。ジェータ太子は、園林に金貨を敷き詰めたら譲ってやろうといいました。こう言えば諦めると思ったのです。ところが、スダッタ長者は、本当に金貨を敷き詰めはじめました。驚いたジェータ太子がわけを聞くと、精舎を作ってお釈迦さまに寄進したいと言います。納得したジェータ大使は、園林を譲り、自分も協力しました。こうして出来上がった精舎が「祇園精舎」です。 祇園精舎は、お釈迦さまの活動拠点の一つとなったことは間違いないようです。 このとき、スダッタ長者は、財産を大きく減らしたに違いありませんが、そのおかげで現代に至るまで、多くの人びとが救われることができました。金銭では量ることのできない功徳が生じたと言わなければなりますまい。 スダッタ長者は、自分を幸せにし、家族・親族を幸せにし、世間の人々を幸せにし、未来の人々まで幸せにすることに自分の財産をつぎ込んだ、本当の幸せ者だったのです。 |