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[経営コンサルタントとして学ぶお釈迦さまの教え]−課長の悩み    浪 宏友


不平不満の多い部下

 ある職場で、課長が、一人の部下を呼びました。「今、忙しいんですけどね」などと言いながら、部下が課長席の前に立ちました。
 課長は、部下に言いました。
 「来週の月曜日から半月ばかり、あちらの課の手伝いに行ってくれ」
 これを聞いた部下は、たちまち顔色を変えて反発しました。
 「なんで俺なんですか。暇な奴が他にいるじゃないですか」  課長は、なんのかのと嫌がる部下を、ようやく承知させました。
 部下は、ぷりぷりしながら席に戻りました。

 他の課に手伝いに行った部下が、数日後、血相変えて駆け込んできました。
 「課長、人を変えてください。俺は、もう行きませんよ」
 どうやら、向こうの人間と、いざこざがあったらしいのです。
 課長は、そういうわけにはいかないと説得しましたが、なかなか聞き入れてくれません。それでも、なんとかなだめすかして、ようやく戻ってもらいました。

 この部下は、普段から不平不満が多くて課長は悩まされています。こんな部下に対して、課長は、どう向き合ったらいいのでしょうか。

先輩のアドバイス

 ある先輩が、課長にアドバイスしました。内容は三つでした。

 「部下の話を傾聴しなさい」と、先輩は言います。
 傾聴というのは、相手の言うことに耳を傾けることです。こちらからは何も言いません。ひたすら聴いて、相手を理解するのです。
 不平不満を持っている部下でも、傾聴してあげると、不平不満を吐き出して心が落ち着くのです。ですから、部下の心が落ち着くまで、傾聴するのです。
 二つ目のアドバイスは、部下から質問を受けたり、疑問を投げかけられたりしたとき、しっかりと答えてあげることだと、先輩は言います。
 部下は不平不満を言いたいのですが、あからさまには言わないで、質問や疑問の形で出してくることが多いのです。こういう時、うやむやにせずに、しっかりと答えて、納得させてあげれば、不平不満もなくなるというのです。
 三つめのアドバイスは、普段から、話し合いをしやすい雰囲気を作っておくことです。
 課長となら、いつでも、気兼ねなく話ができると思えば、部下も、安心して仕事に集中できるというのです。

 課長は、先輩の話を聞きながら、そんなのムリムリと、心の中でつぶやいていました。

とてもできない

 部下の話を(それが不平不満であっても)傾聴してあげる。
 質問・疑問に答えてあげる。
 話し合いをしやすい雰囲気を作る。

 先輩のアドバイスをまとめると、こういうことになると思います。これを課長が実行すればいいのです。
 しかし、課長には、部下の話を傾聴している自分をイメージすることができません。
 部下から質問・疑問をぶつけられたら、言い合いになってしまいそうです。
 話し合いができる雰囲気をつくれと言われても、どうやればできるのか見当もつきません。
 自分にはとうてい出来そうもないことを、先輩は要求してきたと、課長は感じました。そして、この先輩にはもう相談してはいけないなと思いました。

道はある

 袋小路に追い込まれたような課長ですが、仏教から見れば、打開の道はあるのです。
 そういうと、すぐに、「どうすればいいんですか」と聞かれます。方法を求めるのです。方法を求められれば、先ほど先輩が言ったことを繰り返すほかありません。
 この課長は、先輩が教えてくれた正しい方法を実行できないのです。そして、自分には、そんなことはできないと決めてかかっています。
 しかし、課長は、自分の課の成績を挙げなければなりません。もたもたしていたら、後輩たちに追い抜かれてしまいます。そういう意味では、先輩が教えてくれたことをやりたいという気持ちも動いています。
 このとき、仏教は、課長に「できますよ」と声をかけます。「あなたが努力してくれるのなら、お教えしますよ」と、語りかけます。
 「できるものならやりたい」と願うなら、仏教は、その道を説き明かしてくれます。
 仏教は、教えを実践して幸せになることを重視していますから、実践する気持ちのある人には、教えを説いてあげたいのです。

導き手

 しかしながら、初めて聞く教えを独りで学び、実践するのは、おそらく困難です。しかるべき導き手を見出して、手ほどきを受けることを考えた方がいいと思います。
 先輩は、課長に正しいやり方を教えてくれましたが、導いてはくれませんでした。教えてくれるだけでなく、親身になって導いてくれる人が必要なのです。

 仏教に造詣の深い導き手は、胸の中に先輩が言っていたことを畳みこんでいます。同時に、課長にはハードルが高すぎることも知っています。ですから、いきなり「このハードルを越えなさい」とは言いません。
 一歩また一歩前進して、ついにはハードルを越えられるように、無理なく導き上げるのが仏教本来のやり方です。

 導き手は、課長の話をじっくりと聞きます。課長と同じ気持ちになって、課長の苦しみを一緒に苦しみます。
 課長に歩む道を教え、歩み方を教え、転んだら転んだで、わき道に逸れたら逸れたで、その都度起こしてくれたり、本道に戻してくれたりします。
 これを繰り返すうちに、課長の人間性が高まって、先輩が言ってくれたことの片鱗なりとも、実行できるようになります。
 ほんの少しでも実行すれば、それにつれて、部下の態度が変化します。自分が変われば相手が変わるというのは、こういうことなんだなあと思うのは、こういうときです。
 これを積み重ねていけば、やがて、ハードルを越えて、先輩が言ってくれたことを実践できる課長になれるのです。

導き手は何をしているのか

 このとき、導き手は、何をしているのでしょうか。実は、お釈迦さまがお説きくださった「四聖諦」と「八正道」を説いているのです。それも、課長が理解できるように、実行できるように、噛み砕いて説いているのです。こうして導かれた課長は、次第に、人間的に成長していくのです。
 仏教は、一人一人を、人間的な成長に導く教えです。成長した人は、目の前の人ばかりでなく、誰に対しても、それぞれの人に応じて、正しく対処できるようになるのです。
 こうして課長が人間的に成長していけば、部下たちも喜んで働くようになりますから、課の成績は、右肩上がりに向上して、課長も面目を施すことになるでしょう。