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在家への説法お経に説かれているお釈迦さまの教えは、その多くが、出家修行者を対象としています。その中に、数は少ないのですが、在家者を対象として説かれたお経があります。そのひとつが、若い長者シンガーラに向かって説かれたお経です。私は、中村 元先生が翻訳なさった「シンガーラへの教え−−−善生経」で学ばせていただきました。春秋社が発行する『原始仏典第三巻 長部経典V』に所収されています。 私は、このお経を読みながら、ここには、社会生活における人間関係の教えが説かれていると思いましたので、その角度から、学んでみたいと思います。 なお、経文には拘泥せず、現代に生きる経営コンサルタントの感覚で、友人たちと語り合うときの要領で、ここにはこういうことが説かれているというふうに、ざっくばらんにお話させていただきたいと思います。このため、話しが大雑把になると思いますので、正確なところは、原文に当たっていただくか、その道の専門家にお伺いください。 六方を礼拝するシンガーラマガダ国の首都王舎城郊外のカランダカ竹林におられたお釈迦さまは、その朝、王舎城に托鉢に向かわれました。途中、一人の青年が目に止まりました。その青年は、流れで身を浄めてから、東方・南方・西方・北方・下方・上方の六つの方角を礼拝していました。 お釈迦さまは、青年に声をかけられました。 「あなたは、身を浄めて六方を礼拝しているようですが、何のために、そのようなことを行なうのですか?」 シンガーラと名乗るその青年は答えました。 「父が亡くなるときに、六方を礼拝しなさいと、私に遺言しました。私は、父の教えを守って、毎朝六方を礼拝しているのです」 「そうでしたか。しかし、シンガーラよ、あなたのような立派な人が、このようなしかたで六方を礼拝してはいけません」 「お釈迦さま、では、どのようなしかたで礼拝すればいいのでしょうか、お教えください」 シンガーラの真摯な態度に頷かれながら、お釈迦さまは、お話を始められました。 礼拝に内容を与えるシンガーラは、父の遺言にしたがって、六方を礼拝していました。なぜそうするのか、そうすることによってなにがもたらされるのか、考えもしなかったようです。早朝に六方を礼拝するのは、早起きをして、心を整え、すがすがしい気持ちで一日を始めるのですから、良いことだと思います。お釈迦さまも、早朝に六方を礼拝することには、肯定的です。 お釈迦さまはシンガーラに向かって、“あなたのような立派な人が、このようなしかたで六方を礼拝してはいけません”とおっしゃっておられます。内容のない礼拝はいけません、内容のある礼拝をしなさいとおっしゃっておられるのです。 お釈迦さまは、シンガーラには人間的に成長する可能性が大きいとご覧になったのでありましょう。 お釈迦さまは、人間関係に関する教えを、説き始められました。 十四の罪悪から離れるお釈迦さまは、シンガーラへ、十四の罪悪から離れなさいとお教えになります。シンガーラへの教えは、人間関係についての教えですが、その最初に、この教えが説かれています。 思うに、良い人間関係を結ぶためには、まず、自分が、悪いことをしない人であることが、最低条件でありましょう。良い人間関係は、良い人と良い人とによって結び合えるはずだからです。 お釈迦さまは、先ずは、自分が、悪いことをしない人間になりましょうとおっしゃておられるのだと思います。 お釈迦さまは、次のようにおっしゃいます。 まず「四つの行為の汚れを捨てる」として、「人が決して行なってはならない四つの行ないを捨てよう」とおっしゃいます。 次に「四つのしかたで悪い行為をしない」として「自分の中にある、悪い行為を生み出す四つの原因を無くそう」とおっしゃいます。 また「財を散ずる六つの門戸」として、「財産を失う六つの行為を行なわないようにしよう」とおっしゃいます。 四つと四つと六つで、十四です。 これら、十四の罪悪から離れれば、堂々と生きていくことができて、必ず幸せになると、お釈迦さまはおっしゃいます。 これら十四の罪悪について、順次、学ばせていただこうと思います。 人が決して行なってはならない行為「人が決して行なってはならない四つの行為」として、お釈迦さまは、生きものを殺すこと 与えられないものを取ること 欲望に関する邪な行ない 虚言 と、お説きになりました。 「生きものを殺す」は、漢訳では「殺生」と言っています。 人を殺すのはもってのほかです。 動物や植物のいのちを、無駄に断つのは殺生です。無生物でも、無駄にすれば殺生です。 価値あることに役に立ってもらうために、動物や植物のいのちをいただくことがあります。これは殺生にはなりません。いのちが新しい形で生きるからです。いただいたいのちを生かすのは、いただいた者の責務です。 「与えられないものを取る」は、漢訳では「偸盗」となっています。 人が苦労して手に入れたものや、大切にしているものを、黙って持って行ってしまうというのは、いかにも卑しい行為であり、自分を低劣な人間にしてしまいます。 「欲望に関する邪な行ない」とありますが、この場合の欲望は、性的な欲望です。性的な欲望によって道ならぬ関係に入ることを言っています。漢訳では「邪淫」となっています。乱れた性的関係は、家庭を壊し、トラブルを生み、人生を乱します。 「虚言」は、自分が得をするためとか、自分の都合を守るためなどの自分本位の目的のために、嘘をつくことです。漢訳では「妄語」となっています。 嘘は、他人に迷惑をかけながら、自分の人格を劣化させてしまいます。 この四つのことは、決して行なってはならないと、お釈迦さまはおっしゃっておられるのです。 五戒という教えでは、この四つのあとに、飲酒をしてはならないとあります。飲酒をすると、酩酊して、四つの悪いことを行なってしまう恐れがあるからです。 ですから、「お酒を飲むな」ではなくて、「お酒に飲まれるな」という戒めであると、私は解釈しています。 この続きは、次号で勉強させていただきたいと思います。 |